中央アジア散歩 2011年夏学期 全学自由研究ゼミナール

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バザール経済

公開日:2011年8月29日

投稿者:uzstudent2011s

経済体制と言うと常識的に市場経済(資本主義)と計画経済(社会主義)の二種類に区分できる。バザール経済のおもしろい点は、これはどちらにも属さないタイプの経済であることだ。売り手の利益の最大化が究極目的ではない点で市場経済とは異なり、ある地域に居住する人々が依存し合っている経済と言う点で、上からの(公的な)経済である計画経済と異なる。商業が活発であったイスラーム社会に根付いたものなのである。

バザールとはペルシャ語で伝統的なイスラームの市場(いちば)を指す単語である。(アラビア語ではスークという。)西・中央アジアのオアシス都市の、周辺地域の産物の集積地として発達した。このイスラームの伝統的な市場は多数の小路から成り、単に経済的な機能を持っただけではなく、店舗の他に、モスクや学校、茶屋なども存在した。地域に基づいた有機的なつながりであり、従来から自律的であった。これゆえに、近代化によっても容易に解体されず、現在も残っているそうである。

では、バザール経済とはどのようなものなのであろうか。まず商品の値段が決まっていない。たとえ値札がついていてもあてにならない。この経済の特徴は、交渉によって商品の値段がきまることだ。

この市場では情報が非常に重要である。バザールに出回る商品はそれぞれに個性があり、その個別の商品についての情報を確実に入手することが良い買い物をするために求められることなのである。市場では人と情報が入り混じっているため、広範に情報を集めるのは得策ではなく、安定した取引先から深い情報を得るようにするのが有効であるとされる。取引先としても、自分にとって誠実な客を信頼によって確保するのである。商品の価格は、商品の質だけではなく、相手との関係によって決まってくるのである。相手との信頼関係の度合い、取引実績、相手がどれだけ有用な情報を持っているか、などである。情報が真実であるかどうかは自己責任によって判断するわけだが、ここにはイスラーム的倫理観が根底にあるといえる。

地域に密着した経済ということで、公的にその実態を把握することは難しいようである。近代以降、国家単位で経済力がはかられるようにもなったが、バザールには国家に測りかねる側面があり、その意味でインフォーマル・セクターとして区分される部分を含む。バザールはイスラームに根付いた有機的なつながりを含み、殊にイランにおいては寄付を管理していたイスラーム法学者のウラマーはそれを公共性の高いことに運用し、商人が財政力により地域の経済を支えることで、国家に対抗する力を有した。1970年代の反体制運動ではこのネットワークが重要な役割を果たしたとされる点が興味深い。ウズベキスタンにおいては旧ソ連の計画経済の欠陥による物の不足はこのインフォーマル・セクターを活性化させる側面を持っていたという指摘もある。このような政府が把握できない経済活動に課税できないという点が課題として挙げられる。もっとも、地域共同体を行政に組み込むことなどがされているようだが。

「バザール経済」。私がこの言葉を知ったのはこの中央アジアゼミの初回である。経済というとどうしてもミクロ、マクロ、効用関数・・・などなど固いイメージが浮かんできてしまい敬遠しがちな私にとって、この文化的な側面を多分に持つ「経済」は親しみやすく思えた。相互の利益のためとはいえ、商売が信頼によって成り立っているのは弊害があるにせよ素敵なことではないかと思う。今もその制度が残っているのかはわからないが、信頼がその場で清算される現金支払いを嫌い、返済方式が好まれることがあるそうだ。映画などで見る日本にもある「ツケ」の文化と似ているのだろうか。経済の近代化、現代化が進むにつれて、こういった伝統的な経済はどのように変化していくのか。世界中の他の都市がそうであったように、全てが規格化され、画一的な経済に組み込まれてしまうのは少し悲しい気がする。

 

参考:『「見えざるユダヤ人」とバザール経済』 堀内正樹

『ウズベキスタンの慣習経済』 樋渡雅人

(文責:文科二類二年 高川)

 

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