中央アジア散歩 2011年夏学期 全学自由研究ゼミナール

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ウズベキスタンのナショナリズム

公開日:2011年8月30日

投稿者:uzstudent2011s

ウズベキスタンという多民族国家における「ナショナリズム」の特殊性は非常に興味深い。それは旧ソ連邦から独立した中央アジア諸国に共通する特性であり、帝政ロシア時代から始まるロシアの影響によるものである。以下に、文献から調べたことを簡単にまとめてみたいと思う。

*      帝政ロシアによる支配と中央アジアの諸民族

中央アジアの、現在まで続く民族構成ができたのは十六世紀頃である。中央アジアを支配した帝国はテュルク系王朝が多かったが、宮廷言語、文学言語としてペルシア語を採用していた。帝国は多民族国家で、人々の民族意識は弱かった。人はまず、自分の暮らす地域や部族に属していた。また、民族と言語や、民族と居住領域の対応関係はなかった。たとえば、「ウズベク人」とは、言語集団ではなく、シャイバーン朝を出現させた連合にさかのぼる諸部族出身の人々を表す。しかし、人々にとって肝心なのは「ウズベク人」か「タジク人」かではなく、「サマルカンドの人間」か「ブハラの人間」かということだった。

帰属意識の対象に「結束集団」を指摘する文献もある。結束集団とは、漠然と先祖が一緒だという人々で構成され、地域性を伴って強化される。その社会的基盤は、部族や氏族、同業組合、宗教と様々であるが、この集団と言語、出自の対応関係はない。とくに部族制のもとでは、部族内の氏族が結束集団を成し、多くは地域的基盤を持つ。ソ連体制下では、この集団がコルホーズの枠組みとして再編され、新たにコルホーズが社会的基盤となった。その結果、独立後もこの結束集団が政治的役割を果たすことになった。

帝政ロシアのよる支配は、草原地帯とトランスオクシアナで異なる手法が用いられた。カザフ草原地帯では、まず、現地の有力者を懐柔し、やがてロシア人農民が大量に移住し現地農民の耕地を奪った。このような社会構造の破壊が現地人のナショナリズムに影響したとされる。

一方、トランスオクシアナでは、伝統的な社会構造は温存され、ロシア人の移住も都市部だけに限られた。ロシアの大きな影響といえば、この地域が外界にひらかれ、近代化への準備がなされたことである。オスマン・トルコの知識人の影響を受けて改革派知識人(ジャディード)が登場するが、彼らの望みは民族の別によらない、中央アジアのムスリム国家を建設することだったように、いまだ民族意識としてのナショナリズムは希薄であった。

*      ソ連による民族政策

ところが、ソ連体制下では、極めて政治的・人為的に、民族意識としてのナショナリズムが形成された。中央アジアの民族の汎イスラム主義・汎トルコ主義的な越境的連帯を分断し、民族集団を対立状態におく分断統治を行い、共産党支配体制を整えるためであった。さらに、逆に越境的民族的連帯を標榜することで、ソ連の影響力を連邦外まで拡大するためであった。まず、民族を規定し、その第一基準として言語をあてがい、次に領土を付与する。さらに、国家機構、制度を整え、外面的な国民国家の体を整える。(実権はソ連が握った。)

この際、民族の規定は戦略的に行われ、言語学的、人類学的根拠が後付に考えられた。言語(と文字)は対内的差別化と対外的差別化という二つの原理にしたがって、民族の関連性を分断するように、新しく考え出され、固定化された。(その結果、ペルシア語のような民族横断的な主要文化言語の地域を媒介する役割は弱まった。)「ウズベク語」も、人為的につくられた言語である。トルコ的な要素を排除するため、ペルシア的な方言を基本とされた。このため、現在では、トルコ系の言語に近いために公用語とかなり異なった方言も「ウズベク語」として話されることになった。

国境線に地理的な整合性はなく、凹凸や飛び地が多かった。また、民族的な整合性もなく、とくにウズベキスタンの周辺各国には多数のウズベク人マイノリティが存在する。こうした国境線の不条理には、中央アジアの新設共和国の独立の展望を描かせなくするという意図があったが、これらの諸国は民族も国境線もそのままに独立を果たした。そのため、こんにちまでソ連体制下で政治的につくられたナショナリズムが受け継がれることになった。

*      現代の中央アジア諸国による正統性の創生

逆説的にも、独立後の中央アジア諸国にはソ連支配のおかげで、近代国家としての要素がそろっていた。したがって、諸国は政治機構、行政機構だけでなく、ナショナリズムを形成する要素(民族、歴史、領土)をもスライドするかたちで受け継いだ。さらに、ソ連と同じ手法を用いることで新しい帰属意識を作り出そうとした。たとえば、ソ連的な要素を排除するための、文字の変更や歴史解釈の変更である。

中央アジア諸国のナショナリズムの特徴は、民族の正統性をもとめる理論にある。ソビエト民族学において、民族の源郷をたどる西洋の民族学に対抗し、ある土地に太古から住む集団同士が混ざり合って民族が形成される、という「民族起源学」が採用された。これはソ連の民族共和国の存在根拠を歴史的に証明するための理論であり、本来の各民族のナショナリズムとは無関係であった。しかし、この理論によれば民族の起源を際限なく遡ることができるため、独立国家として対外的、対内的正統性を必要とした現在の中央アジア諸国でも採用された。このため、たとえば、ウズベク人によって倒された帝国の創始、ティムールがウズベキスタンの国民的英雄とされているような、傍からは不思議に思われるような事態になっているのだ。

以上は、現在のウズベキスタンのナショナリズムを形成するまでのおおまかな流れである。(まとめるうえで、具体的な例や、ウズベキスタン以外の国家に関わる例はなるべく省略した。)私自身うまく理解しきれていない部分もあるので、稚拙なまとめになっていると思う。現地研修の前に、さらに調査を重ねて、理解を深めたい。

現代の世界情勢を考えれば、ナショナリズムはとてもデリケートな問題だと思う。このような知識が先入観にならないように気をつけたい。できるならば、現地にいって実際にその国家の中で暮らす人の思いをきいてみたいと思っている。

参考文献:

中央アジアを知るための60章(第二版) 宇山智彦編 明石書店

現代中央アジア オリヴィエ・ロワ著 白水社

ウズベキスタン―民族・歴史・国家 高橋 巌根著 創土社

文責:文科二類一年 藤沢

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