観光業について調査するにあたり
公開日:2011年9月2日
投稿者:uzstudent2011s
なぜ観光業なのか。それは比較的アプローチのしやすい、文化交流および経済の活性化の術だと考えるからである。この夏休みを利用して、日本や世界各国の観光地をいくつか見てきた。本研修を終えた時点で、比較を交えながら自分なりの考察と提案ができれば、と思う。
一般にこの類のサービスは、売店やレストランをはじめとする現地の雇用創出、およびホテル建設等の二次的な興業効果が期待され、同時に貴重な外貨獲得源でもある。一方、観光地化することでごみ除去、インフラ整備等の必要性を生じさせ、とりわけ自然遺産においては環境の悪化も懸念事項となりうる。そこでまず政府当局がすべきことはこういった利益と費用の比較衡量、ということになるのが妥当だろう。
これをまずベースのモデルとしたうえで、次なるステップとしては当然現地の実情を考慮していくことになるわけである。時として異次元的である観光という産物がもたらしうる弊害も地域により様々であろう。
ガイドブック等を参照した感覚に頼れば、ウズベキスタンをタシケント・サマルカンド・シャフリサーブス・ブハラ・ヒヴァ・フェルガナ・コーカンド程度に観光地を区分していくのがスタンダードかと思われる。その際例えば、新市街を擁し、一定程度のサービス業および外部の人間の受け入れ態勢が整っていると思われる首都タシケントと、伝統的なマハッラの影響力が根強く残るフェルガナ盆地付近(ティムール・ダダバエフ「マハッラの実像ー中央アジア社会の伝統と変容」2006年、東京大学出版会173頁)とで観光業を同一視するのはいささかナンセンスとなる可能性がある。陶器やシルクといった名産品は観光客の目を引くだろうが、シルダリアの流域に広がるオアシス農業豊かな田園地帯がそこには伝統的に存在しているからだ。雇用の創出が農業から観光業への人的資源の流用であるとするとき、それが農業にとって不利益たりうる。(ジェームズ・マック「観光経済学入門」2005年、日本評論社143頁)また、相互扶助的性格も帯びる地域共同体の中において賃金が高めに設定される観光業とそうでない農業との間の格差は不協和音となり、よろしくないかもしれない。
(余談)タシケントに美術館・博物館が集積している様子は、ベルリンの博物館島を想起させるが、日本で得られる情報だけから察するに一つ一つの館がさほど魅力的ではなく観光向けとしてはあまり効果的ではない気もするのだが。
各々の地域特性を重視した観光スポットを設定した後で、ウズベキスタンという国の吸引力を高める工夫が必要になってくる。知名度をどう高めていくか、という議論は中央アジア地域あるいはもっと広範に旧ソ連地域ないしイスラム文化圏という括りの中でどのように差別化し、ブランド化を徹底させていくか、という話に帰結する。そこには国家の指針のような政治的問題が少なからず関与してくることや、国家主導ではどうしても産業は硬直的になりやすい、という特徴からなかなか難しい話でもある。加えて英語教育や近代的契約の普及をはじめとする対外的コミュニケーションの振興、航路の整備など問題は山積する。それでは少し手が出せないのでレイヤーを落として見ていくと、民間レベルだと例えばパック旅行のメリットを活かすこともできる。一般人がウズベキスタン、あるいはその都市をピンポイントで選好するケースは珍しいと言ってよく、個人旅行で欧米を旅する際に最低限のホテル等の予約だけ済ませて、後はノリでプランニングする、というような手軽さは無い。そこで、旅行会社がよく知られた国との旅行とセットにしたり、見どころを明瞭にする(典型的なのが世界遺産のアピールである)ツアーを組み、提示する、といった方法は今すぐにとることができそうなものである。
受け入れ側の意識の養成、ということも大事なファクターであり、一般人の現状の認識その他について調査できれば、と思っている。
(文:文科Ⅰ類2年 野崎拓洋)
ウズベキスタンへ行く目的
公開日:2011年9月1日
投稿者:uzstudent2011s
前回の記事では、ウズベキスタン国内の交通手段について述べた。ここでは、班の方針である、’日本からの観光客を呼び込む’というテーマを中心に記述する。
‘観光客を呼び込む’という場合、呼び込む側のpull要因の有無が重要になってくる。すなわち、まずはウズベキスタンの観光資源について考える必要がある。ウズベキスタンといえば、一般的にシルクロードの要衝というイメージがあり、その遺跡はオアシス都市を中心に遺されている。観光資源については、八木君の記事にある通り、他の中央アジア諸国より良いものを持っているといえる。外務省の渡航情報によれば、キルギスとの国境付近など主に南東部においては危険情報も出ているが、渡航者の訪れるような場所は治安も悪くないそうだ。たまたま、数か月前にウズベキスタンに旅行に行った肩のお話を聞く機会があったのだが、ウズベキスタンの物価はかなり低く、飲食に困ることはまずないということ、そして、少し意外に感じたのが、ハード面はとても充実しているということだった。すなわち、ホテルなどの建造物、バスなどの交通機関はきれいで快適だったという。一方、ソフト、すなわち、サービスや接客面はあまり良くなかったそうだ。ところが、その方はかなりの旅行好きと称しており、なぜウズベキスタンを旅行先として選んだのか、という質問をしたところ、「皆が行かないようなところだから」という答えが返ってきた。やはりウズベキスタンを訪ねるということは、一般的にはハードルが高いのだろうな、と改めて感じた。
では、どう’日本からの観光客を呼び込む’かという問題になってくるが、この問いに対する見方は無数に存在するように思える。しかしまず大事だと思ったのは、日本の人々に、ウズベキスタンについてもっと正しく知ってもらうことではないかと思う。前回も書いたものと同様に、ウズベキスタンをはじめ中央アジアについては、’神秘’という捉え方もあるが、裏を返せば’未知’や’奇怪’という恐れのイメージを少なからず持ってしまうのではなかろうか。私ももちろんそうであったが、このゼミを通してウズベキスタンについて調べていく中で、そういった負のイメージは払拭され、さらに現地を見てみたいという気持ちが強まった。
そこで、私たちは何をすればよいかと考えたとき、せっかく現地に行かせていただけるのだから、その隅々までを体験し、それを発信していくことではないかと考えた。しかし、私たちだけではウズベキスタンの隅々まで体験することなどは不可能であるとは思うが、今回、現地の大学生と話し合える場をいただけるということで、そこで彼らとともに主に観光について情報交換しつつ、それらをまとめたものを、なんらかの形で発信していこう、という方針となった。彼らと話し合う中で、’日本人観光者’としての私たちの視点と、’現地人’としての彼らの視点がうまくマッチし、双方にとっての新たな発見が生まれることを大いに期待している。はっきりとした全体像は見えていないため、その道筋などは少し覚束ない部分もあるが、このゼミを通して発信していくことが、少しでも多くの人々に届き、少しでも多くの人々が興味関心を抱いてくれれば、と思う。
文:文科二類2年 田村 悠
レギスタン広場の歴史と建築
公開日:2011年8月30日
投稿者:uzstudent2011s
レギスタン広場はウズベキスタンの古都サマルカンドに位置する観光名所の一つである。名前はペルシャ語で「砂の場所」を意味する言葉であり、サマルカンドの歴史において中心的な存在であった。元々この地は商業地であったが、そこの様相を変えたのが15世紀に中央アジアを支配したスルタン、ウルグ・ベクである。
中央の広場を囲むのは3つのマドラサである。正面から見て左側に位置するのが1420年に建てられたウルグ・べク・マドラサ、それと向かい合うように右側にあるのが1636年に完成したシェル・ドル・マドラサ、そして中央奥には1660年にできたティリャー・コリー・モスクマドラサがある。これらのマドラサは200年以上に渡って別々に建てられたものだが、建設当初から計画されていたかのような景観を作り出している。これは「コシュ」と呼ばれる都市デザインの手法が取られているからである。「コシュ」とはウズベク語で「つがい」を意味し、レギスタン広場のシェル・ドル・マドラサのように、既存の建物とつがいになるよう向かい合って建てたりすることで整理された街並みにする方法である。
マドラサとは「学ぶ場所、学校」という意味で、9世紀以来各地で建てられたイスラム世界の教育機関である。教育は二つのコースに分かれていて、コーランの暗唱や解釈などを学ぶコースと学者を育成するためのコースがあった。
マドラサで教えられていた科目は主にアラブ語、タフスィール(コーラン解釈学)、シャリーア(イスラム法)、ハディース(預言者ムハンマドの言行録)、論理学、ムスリム史である。
マドラサはイスラムを広く伝える以外にも、孤児や貧しい子を教育するという使命を持っていた。また、中には女性を受け入れるものもあったという(無論、男女別学だが)。
レギスタン広場のマドラサを一つずつ紹介していく。最初に建てられたのが1417年から3年間かけて完成したウルグ・ベク・マドラサである。ティムール朝第四代君主ウルグ・ベクの命によって建設された。中庭にはモスク・講義室・寄宿舎があり、学生が生活していたフジュラが約50室存在する。ウルグ・ベクはこの他にも2つのマドラサの建設を命じたが、ウルグベク・マドラサが建築・教育機関の点において最も優れていた。17世紀までマドラサとして機能した後、一世紀以上は穀物倉庫の役割を担っていたが、20世紀前半にはまた教育機関として利用されるようになった。
次に建てられたのがウルグ・ベク・マドラサの「つがい」、シェル・ドル・マドラサである。シャイバニ朝君主ヤラングドゥシュ・バハテゥルの命により1619年から1636年にかけて建設された。形はウルグ・ベク・マドラサを模して設計されているが、君主の権力を誇示するため装飾が派手になっている。「シェル・ドル」は「獅子」という意味を持っており、イスラム建築には珍しく動物の絵が正面に描かれているのが特徴である。イスラム教では偶像崇拝が禁止されているため人物や動物画は基本的に描かれないが、シェル・ドル・マドラサには白い鹿を追う獅子と、その背景に顔のついた太陽が描かれている。
最後に、1646年着工、1660年完成のティリャー・コリー・マドラサが二つのマドラサの奥に建てられた。このマドラサは当時のサマルカンドの繁栄を示しており、「金で飾られたマドラサ」という名前の通り豪華な金の装飾が施されている。17世紀に損傷したビヒ・ハーヌム・モスクの代わりとして、メッカを向いたモスクを兼ね備えている。
文責:文科二類2年 末松
サマルカンドとウズベキスタン観光
公開日:2011年8月30日
投稿者:uzstudent2011s
人が海外旅行の行く先を決めるとき、その決め手となるのは何であろうか。この疑問は私がウズベキスタンの観光産業について考えるうちに思ったことである。日本人観光客には近場の国(韓国や中国など)に加え、ヨーロッパ(フランス、ドイツなど)やリゾートが人気である。その理由は何なのであろうか。ウズベキスタンには豊かな観光資源があり、古来シルクロードの拠点として栄えてきた歴史をもつにも関わらず、なぜ日本での知名度は比較的低く、人気旅行先とならないのか。ここでは都市の美しさで引けを取らない、サマルカンドの紹介をする。サマルカンドへは、ウズベキスタンの首都タシケントから飛行機(約1時間)、鉄道(約3時間半)、バス(4~5時間)で行ける。
サマルカンドは歴史上シルクロードの中心都市として発展し続けてきた。紀元前4世紀に東方遠征をしたアレクサンドロス大王が「話に聞いていたとおりに美しい、いやそれ以上に美しい」と言ったというほど、歴史的に美しい町として有名であった。その担い手はソグド人であった。一時モンゴル軍の被害を受けるも、14世紀にはティムール帝国の都として繁栄し、今日も「青の都」、「東方の真珠」などと称されるほどに美しい。
・アミール・ティムール廟
ティムール帝国の始祖、ティムールと彼の息子たちの霊廟である。ドームの青タイルが特色であり、サマルカンドが「青の都」と称される一因である。
(料金:3USドル相当、撮影料金:2USドル相当、ビデオ5USドル相当)
・レギスタン広場
レギスタンとは砂地の意味である。正面と左右のメドレセ(神学校)がその景観をつくる。
(料金:8000スム、撮影料金:3000スム。ビデオ7000スム)
・ビビハニム・モスク
中央アジア最大のモスクである。これもまた青のドームがある。ティムールの命令によって造られた。
(料金:3USドル相当、撮影料金:2USドル相当、ビデオ5USドル相当)
・シヨブ・バザール
ビビハニム・モスクに隣接する大きな市場。イスラーム圏特有のバザール経済を体験できるかもしれない。サマルカンドはナンが有名であり、地元の人もお土産で買っていくほどであるらしい。
・シャーヒズィンダ廟群
ティウールゆかりの人の霊廟が並ぶ通りで、サマルカンドの聖地となっており、多くの人が巡礼に訪れる。ここでも青タイルが多く使われており、壁などには美しい装飾が施されている。
(料金:3000スム、撮影料金:1500スム~)
イスラームの都ということで、建築がこの町の美しさの大部分を担っている。それらの壁に施された緻密な模様や、ドームなどに使われている鮮やかな青は一見の価値があると思う。以上に紹介した有名な観光地以外にも、歴史的遺産や、博物館などがある。サマルカンドの歴史は古く、この都市だけのためにウズベキスタンに観光先として訪れる理由は十分にある。サマルカンド以外にも、ヒヴァ、ブハラなど世界遺産となっている都市や、世界史をやっていた人ならきいたことがあるだろうフェルガナもウズベキスタンにあるのである。
しかし、私も現にこの授業にふれるまで訪れようと思ったことはなく、日本人観光客は1万人以下と少ない。以下はあくまで意見であるが、理由のひとつには、ウズベキスタンという国の知名度が日本では圧倒的に低いことが挙げられるであろう。さらに日本国内での広報に改善点があるのではないか。「サマルカンド」という都市名をとウズベキスタンという国名にリンクさせることは重要であると思う。ツアーを組み、扱っている旅行会社も少ない。旅行会社が扱っていないとなると一般旅行者の目には泊まりにくい。旅行会社がツアーを組みにくい点はあるのか。日本で信用できるウズベキスタンの情報が非常に得にくいことは、調べている過程でぶつかった。しかし逆に考えると、開拓の余地があるということでもある。
観光地自体にはどのような課題があるか。上記に列記したことからもわかるように観光料金とは別に、撮影料金を徴収している。非効率的、かつ観光客への印象が悪くなってしまう。交通の便は良いとは言えないものの、悪くはないと思われる。国内の飛行機が全て首都タシケント発着で、他の都市間を結ぶ便がないことは移動時間や、快適さを重視する人にとっては不便である。しかし、都市間の移動は鉄道や、バスで可能である。都市内の移動は都市により異なるが、サマルカンド市内はバスがあり、市自体がそんなに大きくないため一日でまわることも可能である。
実際に訪れてみて、観光地がどのようであるか、日本人観光客を呼び込むために何が足りないか、現地の大学生との交流を通じて私たちが事前に調べ考えていたこととの相違を明らかにしたいと思う。
文:文科二類二年 高川めぐ
なぜ観光なのか?
公開日:2011年8月28日
投稿者:uzstudent2011s
今日はなぜ僕がウズベキスタンの観光について興味を持ったのか。
また、何を目標にウズベキスタンに行くかについて書きます。
そもそも最初に経済班でウズベキスタンやそのほかの中央アジアの国々の統計データについて調べていた際に、観光収入というデータを発見し、サマルカンドなどの歴史的に有名な都市を始めとした豊かな観光資源があるのに他の国々に比べてあまり観光収入が大きくないことに着目したからです。
ウズベキスタン:観光客107万人、観光収入6400万ドル
カザフスタン:観光客127万人、観光収入11億ドル
キルギス:観光客244万人、観光収入5.7億ドル
トルクメニスタン:観光客8000人、観光収入1.9億ドル
タジキスタン:観光客4000人、観光収入2400万ドル(2011 Data Book of The WORLD 二宮書店出版より引用)
五ハン国における観光に関するデータの比較ですが、ウズベキスタンの観光収入は五ハン国の中で明らかに低い(下から二番目)うえに、順位が一つ上のトルクメニスタンの約三分の一ほどしか収入が無いです。
観光資源については負けていることはもちろん無く、世界遺産の登録件数を比較してみても、ウズベキスタン:文化遺産が4個、カザフスタン:文化遺産が2個、自然遺産が1個、キルギス:文化遺産が1個、トルクメニスタン:文化遺産が3個、タジキスタン:文化遺産が1個
となっています。
また、もう一つの理由として日本でも国の経済政策として観光という分野が着目されるようになったことがあります。2009年の鳩山内閣では観光が経済成長分野の柱に位置され、観光立国推進基本法、観光立国推進基本計画によって観光立国の実現が目指されています。観光の形態自体も高度な医療を目的としたメディカルツーリズムなど多様化が進んでおり、非常に興味深い分野となっています。
残念ながら日本の人たちでウズベキスタンに行ったことがあるという方にはほとんどお会いすることがありませんが(実際に日本人のウズベキスタン渡航者は年一万人以下)、SNS上でウズベキスタンに行ったことがある何名かの方々に、ウズベキスタンに行った際の不便だった点・日本人があまりウズベキスタンに行かない原因となっているものは何かとアンケートを実施したところ、不便だった点は公共交通機関や一部施設で写真撮影が禁止されていること、宿泊毎に滞在者登録が必要なこと、悪質な警官がいるなどが挙げられていました。日本人があまりウズベキスタンに行かない原因に関してはほとんどの人が一致して①ウズベキスタンそのものを知らない人が多い②ウズベキスタンと聞くと、アフガニスタンなどを連想し非常に治安が悪そうに感じるという二つの原因を挙げていました。
そこで、僕が今回ウズベキスタンに行く際の個人的な目標として①日本とウズベキスタン双方でお互いの国に観光する人が増えるにはどうしたらよいかについてしっかり考えること②若者である自分の目線から見て日本人の若者が気に入りそうなウズベキスタンの魅力について見つけてくることの二つを設定しました。
現地で深い知識を得るために出発直前まで、読書などを通して観光関連の知識をさらに身につけていきたいと思います。
文責:文科Ⅱ類八木雄介
ウズベキスタンの交通
公開日:2011年8月28日
投稿者:uzstudent2011s
‘ウズベキスタン’と聞いて、明確なイメージを持てる日本人は少ないのではないかと思う。友人や家族などと話していても、「そんなところに行っても大丈夫なの?」とか、「ウズベキスタンって何があるの?」とか、そういったやりとりは数多くあった。実は、私もはじめは同様に、’ウズベキスタン’といえば、高校世界史で習ったように、’文明の交差点’だとか、CISの一員といった漠然としたイメージしか持っていなかった。自分にとって未知の領域に踏み込む、そんな好奇心も働いて、当ゼミを履修するに至った。
私は、’経済班’の一員として、ウズベキスタンの観光産業を中心に調査を進めてきた。その調査の過程においては、様々な困難がつきまとった。例えば、日本語の文献では十分な情報が得られないこと、場合によってはロシア語等でないと情報が見られないということ、あるいは、国の体質として、統計等の情報が十分には公開されていないことなどが挙げられる。もちろん、私の力が及ばない部分が多いこともその大きな一因として挙げられるが、以下に、微力ながら、交通についての簡単なまとめを記す。このとき、班の方針として、’日本からの観光客を呼び込む’というテーマがあるため、そこにも触れながら話を進める。
ウズベキスタンの主な観光地は、首都のタシュケントや世界遺産の存在するヒヴァ、ブハラ、シャフリサブス、サマルカンドである。それらの都市の位置関係は下図のようになる。衛生写真からも分かるように、これらの点在するオアシス都市以外には広大な砂漠が広がっている。
(Google Earthより)
ウズベキスタンにおいては、これらの都市をつなぐ交通手段としては、主に、鉄道、バス(タクシー)、航空機が挙げられる。以下、それぞれを個別に見ていく。
・鉄道
(OrexCA.com より)
上図がウズベキスタンにおける鉄道網である。先の衛生写真と見比べて分かるように、点在するオアシス都市を通るように敷かれている。オアシス都市をつなぐものとしては、’Registan’,’Sharq’,’Sanaf’といった高速鉄道が走っており、例えば、タシュケント-サマルカンド間を3時間半ほどで、タシュケント-ブハラ間を6時間半ほどで結んでいる。料金は2つの席種に分かれており、それぞれの便において、25,000スムと15,000スム、22,000スムと34,000スムとなっている(1円≒22スム)。
・バス(タクシー)
(国土交通省ホームページより)
上図がウズベキスタンにおける主な幹線道路である。これも鉄道網と同様に、オアシス都市間をつなぐ大動脈となっている。残念ながら、バスやタクシーについてはなかなか有力な情報源を見つけることができなかったため、主に個人ブログや口コミを参考に情報を収集した。それによると、タシュケント-サマルカンド間は定期バスが走っており、十分に快適でかつ鉄道を利用するよりも割安で済む(7米ドルほど)ということ、サマルカンド以西については、乗合タクシーを利用する場合が多いということなどが分かった。また、交通費は交渉次第で変動する可能性が大いにあり、その価格はドルベースで決められることが多いという。
・航空機
(Uzbekistan airway ホームページより)
上図がウズベキスタン航空の国内線の就航路である。基本的に、首都タシュケントがハブ空港としての役割を果たしており、主要都市へは一日で複数便の定期便がある。タシュケント-ウルゲンチ間など、鉄道やバス・タクシー等の利用では時間的な負担が大きくなってしまう移動の際によく使われる。一方、価格は割高となり、例えば、タシュケント-ブハラ間は1時間半前後で移動できるが、71,000スムほどの金額となる。
以上、3つの交通手段について見てきたが、料金や時間などについて一長一短があるという印象が残った。しかしながら、それぞれの快適さ、利便性などは実際に利用しない限りは妥当な評価を下すことはできないと思うので、現地に行った際に、自分自身で体験したいと思う。
文:文科二類2年 田村 悠