田村氏講演 予習-1 (駒場キャンパスについて)
公開日:2011年11月9日
投稿者:komcee2011
建築はそれだけで存在するのではなく、常に周辺環境と共にあります。なので、一つの建築を考えるときには周辺環境との調和(あるいはコントラスト)やその土地の持つ歴史性や社会的との関係なども考えることになります。そこで、今回理想の教育棟の設計を担当した類設計室の田村正道さんをお迎えするにあたり、この記事ではその準備として理想の教育棟の周辺環境、すなわち東京大学駒場Ⅰキャンパスの他の建築物やキャンパス計画について見ていきたいと思います。
東京大学駒場Ⅰキャンパスのある場所にはもともと駒場農学校、そしてその後身にあたる東京帝国大学農学部がありました。1935年にその東京帝国大学農学部との敷地交換により旧制第一高等学校(一高)が移転してきて、1949年一高が東京大学(旧東京帝国大学)に吸収されるかたちで消滅したのに伴って東京大学教養学部のキャンパスとなりました。
農学部時代の建築物は第二次大戦による焼失とその後の取り壊しによって現在は残っていませんが、一高時代の建築物は1号館(1933年完成)、900番教室(1938年完成)、駒場博物館(1935年完成)、101号館(1935年完成)が残っています。これら4つの建築物のすべてが内田祥三という建築家による設計です。内田祥三は、東京帝国大学営繕課長や同大学総長、日本建築学会会長などを歴任した人物で、安田講堂、総合図書館、法文1、2号館、医学部本館、工学部1、2号館など関東大震災後の1920年代から30年代にかけて本郷キャンパスで建造された建築物の多くを設計しました。ゴシック様式に基づくその建築スタイルは内田ゴシックと呼ばれ、駒場キャンパスに残る彼の4つの建築物もそうした内田ゴシックの作品と言われています。
東京大学駒場地区キャンパス計画においては、1号館、その左右に向きあい対称をなすかたちで配置された900番教室と駒場博物館、そして101号館と正門などを歴史的空間、保存建造物としています。そして、それと並んで全体構成をなすものとして、銀杏並木を「重要な軸線」と呼んでいます。外部空間については、眺望景観を意識して高さを抑制し周囲の樹木と建築物との関係も重視するべきだとしています。
近年、駒場キャンパスでは旧来の図書館、駒場寮などが取り壊されて、駒場図書館(2002年完成)、アドミニストレーション棟(2003年完成)、コミュニケーションプラザ(2006年完成)といった建築物が新しく建設されるなどの再開発が進められていて、今回の理想の教育棟の建設もその流れの中に位置づけられるものとして考えられます。駒場図書館やコミュニケーションプラザなどは先述の内田ゴシックの建築物とは違ういわゆる現代建築の建築物ですが、キャンパス計画に基づいた、銀杏並木の軸線の延長という意識や高さの抑制というのは見てとれます。
以上のような周辺環境との関係から、最後に少しだけこの理想の教育棟を考えてみます。まず、キャンパス計画から考えてみると、1階部分で銀杏並木と直角に交差する軸線(キャンパス計画で副軸線とされているもの)を生かしており、また高さも抑制されていることがわかります。近い年代に建設された駒場図書館やコミュニケーションプラザの意匠との比較からは、外部からは軽やかさ、内部からは明るさを感じさせるようなガラスの効果的な使用、吹き抜けによる内部空間の開放感の演出などが共通項としてあげられます。また、理想の教育棟周辺の樹木の多くはキャンパス計画に基づいて保全されたもので、それらと理想の教育棟のファサードとの調和というのも意識されているかと思います。
このほかにも理想の教育棟周辺環境との関係から考えられることというのはまだまだたくさんあります。実際に設計を担当された類設計室の田村正道さんのお話の中からそうした周辺環境との調和についてどういった苦心があったのかということをうかがい、新たな気づきを得られればと思います。
参考URL
東京大学キャンパス概要 (http://www.u-tokyo.ac.jp/index/b07_j.html)
沿革 駒場キャンパスの歴史 (http://www.c.u-tokyo.ac.jp/history/02.html)
東京大学の建築物 – Wikipedia (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%BB%BA%E9%80%A0%E7%89%A9)
(文責:川名)