2014年夏学期 テーマ講義:東京大学教養学部

桝田淳二(5月13日)

 桝田淳二

Junji Masuda
Nagashima Ohno&Tsunematsu NY LLP パートナー
長島・大野・常松法律事務所 オフカウンセル
東京大学監事

1966年
東京大学法学部卒業

1971年
Columbia Law School卒業(LL.M.)

1977年
桝田江尻法律事務所(あさひ・狛法律事務所の前身)創立

1992年
Masuda & Ejiri(New York)開設

2007年
Masuda International(New York)として独立、長島・大野・常松法律事務所と提携

2010年9月~現在
Nagashima Ohno & Tsunematsu NY LLPパートナー
(長島・大野・常松法律事務所オフカウンセル)

2012年4月~現在
東京大学監事
 

著書
『日本のローファームの誕生と発展』(商事法務,2011)
『国際弁護士―アメリカへの逆上陸の軌跡―』(日本経済新聞出版社,2010)

講演要旨

 桝田淳二先生は,国際関係専門の弁護士(日本,ニューヨーク州)として,その分野の創成期からご活躍されています。また,現在は東京大学の監事も務めていらっしゃいます。
 講義の前半では,法律のプロフェッショナルとしてのご経歴と,その根源となる大学時代のご経験をお話しくださいました。後半では,東京大学総長 濱田純一先生もお越しくださり,学生からの質問にご回答頂きました。
 桝田先生の法律のプロフェッショナルとしてのご経歴は,1968年の司法試験合格から始まります。当初から国際関係を専門にすることを望まれ,1970年にはColumbia Law Schoolに留学なさいます。その後,ニューヨークの法律事務所に所属されます。1973年日本で初めて外国株が取引されるという時代背景にあり,桝田先生もこれに伴い日米を往復しながら,第一線でご活躍されます。当時,国際関係の法律の分野では圧倒的に他国の弁護士が優勢であり,また,日本国内にはすでに大手の法律事務所が存在していました。そのような中,桝田先生は1977年,日本に国際関係が専門の法律事務所を開設なさいます。たった二人で開設するその様を,周囲は呆れ,笑ったと言います。しかし,十数年の時を経て,既存の大手事務所に匹敵する組織に成長します。バブル期の勢いも手伝い,ニューヨークにも新たな事務所を設けることとなり,桝田先生自ら渡米されます。この時,先生は48歳でした。事務所の開設は,想像を超える困難を伴います。さらに,50歳の時には,ニューヨーク州の司法試験を受験され,これは人生の中で一番つらい受験であったと言います。
 このように,グローバル社会の最前線で道を切り拓いていらっしゃった桝田先生ですが,その根幹は大学生時代のサークル活動にあるとおっしゃいます。ご友人と共に所属したオーケストラサークルはとても魅力的なものであったそうです。特に後の人生を大きく変えたのは,三年次にキャプテンに就任した時のご経験でした。留年届を出してまで任務を全うされ,そこから得たものは,“全く無の状態からなんとしてでも成功させる”という体験だったと言います。
 先生の行動理念は,“人生後悔したくない”というところにあるそうで,学生には“失敗しても命までは取られないのだから,やりたいことをやればいい”とエールを送られます。
 人生で一番つらい受験であったという50歳での司法試験挑戦を“人生を二回楽しめた”と笑い,“Never too late.”の言葉で前半を締めくくられます。
その後,濱田総長を交えての質疑応答が続きます。学生からは「日本人としてのアイデンティティ」や「教育制度」について質問が続きます。特に「信頼関係」がキーワードとなり,濱田総長は“グローバル化の原点”と表現し,桝田先生は“交渉の鍵”と語られます。信頼関係を築くためには,まず“自分が信頼できる人にならなければならない”と桝田先生はおっしゃいます。
 グローバル社会の先駆者としてご活躍され続けている桝田先生のご経験と,濱田総長から直接伺う教育改革論は,学生にとって刺激的なものであったことでしょう。

受講生のレポート

 桝田さんが自らの東京大学卒業後の歩み、またそれ以前の大学生活について語られた後、質疑応答となり浜田総長も交えて学生と自由な意見交換が行われた。
 「国際弁護士」という肩書きからは、バリバリと早口の英語で相手を論破していくような方を想像しがちだが、桝田さんは極めて穏やかに話をされる温厚な雰囲気の方であった。桝田さんは34歳で国際関係専門の弁護士事務所を設立し、48歳でニューヨークに新たに弁護士事務所を設立する。周囲の人がみな不可能だと思っていることに幾度も挑戦し、成功されてきた。桝田さんは自らのリスクをとる姿勢について、“人生に後悔したくないからだ”と説明される。“リスクを取るかどうか迷うのは、やりたい気持ちがある時である”、“やらないで後悔するよりは、思いきってやりたいことをやればよい”と仰っていた。これは、この講義で以前講演された方々とも共通する考えであり、グローバルに活躍する一つの秘訣なのかもしれない。
 大学生活のお話では、オーケストラへの取り組みが中心に語られた。桝田さんはキャプテンとして三年生の時に留年をしてオーケストラの活動に注力された。そのような活動は教室での学業以上に様々なことを学びうるものであったと語られていた。そして学生に対し、「経歴は守るな」という言葉を送り、良い経歴を汚さないよう小さく生きるのではなく、あえて経歴を壊し大胆に生きることの大切さを教えてくださった。
 桝田さんは東京大学の監事もされており、質疑応答には濱田総長も参加された。そのため、東京大学および日本の教育のあり方について様々な質問が飛び交った。現状への一種の不満を含む学生の大胆な質問に対し、濱田総長が2016年から導入される推薦入試について言及するなど、真剣な議論が展開された。
 国際弁護士を目指す者から、全く専門分野が異なる者まで、幅広い学生が出席していたが、それぞれのなかで将来への考えが深まったことだろう。

(担当:文科一類1年 出口文哲) 

講義の様子

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自らの半生を振り返って、”Never too late”とメッセージを送られました。

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和やかな雰囲気の中、濱田総長と共に学生の質問に真摯に向き合う先生。